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東京高等裁判所 昭和62年(行コ)6号 判決

控訴人

村田千五郎

被控訴人

土浦労働基準監督署長白田浩

右指定代理人

野﨑守

山田文夫

大竹彦久

桧山登喜

玉谷周平

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対し昭和五七年四月一四日付でした休業補償給付不支給決定を取り消す。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二当事者の主張

当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

第一控訴人の業務及び発病について

控訴人は、昭和四八年八月二〇日、会社に入社し、製造第二課PI係に所属し、会社における三交替制の勤務制に従い、控訴人主張のとおりの就業サイクルで、フィルム原反の製造作業に従事していたこと、右フィルム原反は、塩化ビニリデンと塩化ビニルに可塑剤等の添加物を混合した原料の粉末をホッパーで押出機に投入し、加熱して溶かし、押出、延伸、巻取の各工程を施すことによって製造されること、控訴人の作業内容は、定常作業として押出機への原料の供給、ダイス掃除、原反取落し及び監視作業のほか、非定常作業として押出機の解体掃除及び組立作業であったこと、控訴人は、昭和五四年六月五日、会社が実施した定期健康診断における胸部エックス線検査において「要精検」と判定され、茨城県立中央病院で精密検査を受けた結果、本件疾病(肺サルコイドージス)と診断されたこと、控訴人は、本件疾病の治療、療養のため、労務に服することができなくなり、昭和五四年秋頃、会社を退職したこと、以上の各事実(請求原因1項(一)及び(二))は、当事者間に争いがない。

第二本件処分及びその当否について

一  控訴人が、昭和五七年一月二九日、被控訴人に対し、本件疾病が業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法に基づき休業補償給付を請求したところ、被控訴人が、控訴人の本件疾病は業務に起因することが明らかなものとは認められないとして、同年四月一四日付で不支給の決定、すなわち、本件処分をしたこと(請求原因3項(一))は、当事者間に争いがない。

二  控訴人は、本件疾病は会社における控訴人の前示業務に起因することが明らかであるから、これを看過してなされた本件処分は違法である、と主張するので、以下、本件疾病の業務起因性の有無について検討する。

1  成立に争いのない(証拠略)に徴すれば、控訴人から本件処分についての審査請求を受けた茨城県労働者災害補償保険審査官がその審査に際して収集した資料には、次のような記載がある、と窺われ、かつ、弁論の全趣旨によれば、右資料に記載されたとおりの事実を認定することができ、右認定を覆す証拠は存しない。

(一) 会社におけるフィルム原反の製造過程で、製造作業に従事する者にばく露のおそれがある化学物質等としては、原料の塩化ビニリデン樹脂、塩化ビニル樹脂のほか、可塑剤のアジピン酸ジオクチル、セバチン酸ジブチル、アセチルクエン酸トリブチル、アジピン酸・1・3―ブタンジオール、1・4―ブタンジオール共重合体、安定剤のエポキシ化大豆油、エポキシ化アマニ油、エポキシ化ステアリン酸オクチル、ジステアリルチオプロピオン酸エステル、界面活性剤のソルビタン脂肪酸エステル、滑剤のステアロアマイド、充填剤の二酸化珪素、炭酸カルシウム、色材のアゾ系有機顔料、フタロシアニン系顔料、酸化チタン、そのほか、塩化ビニル樹脂の熱分解生成物の塩化水素、一酸化炭素があること

(二) 控訴人の職場の塩化水素ガス及び一酸化炭素ガスの気中濃度を昭和五七年一一月二七日に測定したところ、塩化水素ガスは、先ず、一〇の各定点で測定した結果(A測定)では、押出機の解体作業中には、いずれの定点でも検知されず、解体作業直後には、一つの定点で平均〇・二四ppMのガスが検知されたが、他の九つの定点では検知されず、次に、二点を決定し、それぞれ一五分間測定した結果(B測定)では、一つの点(押出機のダイスヘッド右側)の周辺では平均〇・四四PPM(最高二PPM)、もう一つの点(押出機のスクリューギヤーエンド)の周辺では平均〇・九PPM(最高四PPM)のガスが検知された(なお、塩化水素ガスの許容濃度は五PPMである)のに対し、一酸化炭素ガスは、前記A測定の結果では、いずれの定点でも検知されなかったこと

(三) 同じく塩化ビニリデン混合物の粉じんの気中濃度を昭和五八年五月一九日に測定したところ、前記A測定の結果では、PI工場のステージ上(機械室)において一立方メートル当り〇・一六六ミリグラム、ステージ下では一立方メートル当り〇・一四二ミリグラム、B測定の結果では、一立方メートル当り〇・二〇ミリグラムであった(なお、その粉じんの許容濃度は一立方メートル当り二ミリグラムである)こと

右認定事実によれば、控訴人の会社における業務は、その程度はともあれ、前示の原料及び可塑剤等の化学物質並びに塩化ビニール樹脂の熱分解生成物である塩化水素にさらされ、更に塩化ビニリデン混合物の粉じんを飛散する場所における業務であった、ということができる。

2  他方、(証拠略)によれば、サルコイドージスとは、類上皮細胞肉芽腫が、肺、肺門・縦隔リンパ節から全身の多臓器に形成され、結核、真菌、ベリリウムなどの既知の原因を除外できるものであって、細胞性免疫能の低下を伴う疾患であること、そのサルコイド病変が肺門・縦隔リンパ節や肺実質に現れる場合が肺サルコイドージス、すなわち、控訴人が罹患した本件疾病であること、控訴人は当初、胸痛、倦怠感を訴え、胸部レントゲン写真によって、両側肺門部リンパ腺に腫脹が認められ、昭和五八年五月当時、アンギオテンシン変換酵素が高値六六単位(正常値は二二ないし四〇単位)で、なお活動性のあるサルコイドージスと診断されていること、サルコイドージスの病因については、これまでに研究が続けられ、結核菌、非定型抗酸菌、ウイルス、マイコプラズマ、ノカルジア、松の花粉等がその病因ではないかと唱えられもしたが、いずれも否定されていて、その病因はなお不明であって、現在では、一つの病原体によって発症するという考えより、種々の原因・病因の重なりによっておこる症候群であると考えられていること、以上の事実が認められ、右認定を妨げる証拠は存しない。

3  右認定のサルコイドージスの病理的特徴、控訴人の症状及びその病因と前示の控訴人の業務とを比較検討すれば、本件疾病が右業務に起因するものであるとは認めることができない、といわなければならない。すなわち、

(一) 控訴人は、「本件疾病は、塩化ビニル樹脂の熱分解生成物にさらされる業務による呼吸器疾患(規則別表第一の二第四号2)であるから、労働基準法七五条、規則三五条により、業務上の事由による疾病に当たるものである」と主張する。

控訴人の会社における業務が、その程度はともあれ、塩化ビニル樹脂の熱分解生成物である塩化水素にさらされる業務といえることは前示したとおりであって、その業務が規則別表第一の二第四号2にいう業務であることは否定できない。

しかしながら、本件疾病が右の業務による呼吸器疾患であるかといえば、規則別表第一の二第四号2にいう呼吸器疾患とは、「気道粘膜の炎症等の呼吸器疾患」であって、塩化水素等の刺激作用によって肺等の気道粘膜に生ずる炎症性の疾患と解されるのに対し、本件疾病は、前示のように、その病因がなお不明であるとはいっても、その病理的特徴及び控訴人の症状において、右のような炎症性の疾患でないことは明らかであるから、これを規則別表第一の二第四号2に該当する業務上の疾病ということはできない。

(二) 更に、控訴人は、「控訴人は、業務遂行の過程で有害物が発生することが明らかな業務に長期継続して勤務し発病したのであるから、業務との因果関係を肯定し、控訴人の本件疾病を業務上の疾病とすべきである」とも主張する。

しかるところ、控訴人がその会社における業務においてさらされる前示原料等の化学物質については規則別表第一の二第四号8で、特にその原料である塩化ビニル及び熱分解生成物である塩化水素については、規則別表第一の二第四号1に基づき労働大臣が昭和五三年三月三〇日労働省告示第三六号をもって指定した単体たる化学物質として、また、控訴人が業務する場所に飛散する粉じんについても、規則別表第一の二第五号でそれぞれ規制されているので、これらを、一応、有害物というのは妨げないにしても、前記告示において定める塩化ビニルにさらされる業務による疾病とは、「中枢神経性急性刺激症状、皮膚障害、麻酔、レイノー現象、指端骨溶解又は門脈圧亢進」主たる症状又は障害とする疾病であり、塩化水素(単体たる化学物質としてのそれ)にさらされる業務による疾病とは、「皮膚障害、前眼部障害、気道障害又は歯牙酸蝕」を主たる症状又は障害とする疾病であって、その規制の趣旨からしても、前示のような病理的特徴及び症状の本件疾病は指定されていないと解されるから、本件疾病を規則別表第一の二第四号1に該当する疾病ということはできない。また、(証拠略)によれば、会社において、控訴人と同じ業務に従事している者のうち、控訴人を除いては、本件疾病に罹患した者がいないこと、フィルム原反の原料である化学物質は本件疾病の病因として関係がないとする意見もあることが認められるから、本件疾病を規則別表第一の二第四号8に該当する疾病ということもできない。本件疾病は、「じん肺症又はじん肺法に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則第一条各号に掲げる症状」ではないことが明らかであるから、規則別表第一の二第五号に該当する疾病でもない。本件疾病は、規則別表第一の二第八号の労働大臣が指定した疾病にも該当しない。

前示の原料等、特に塩化ビニル及び塩化水素、更に粉じんを有害物というにしても、結局、これらと本件疾病との間に因果関係があると認めることができないので、本件疾病を規則別表第一の二第九号の「業務に起因することの明らかな疾病」ということもできない。

(三) 控訴人の前記(一)及び(二)の各主張は、いずれもこれを採用することができないし、他に、本件疾病が控訴人の会社における業務に起因するものであると認めるに足りる証拠は存しない。

三  以上の次第であるから、本件疾病が控訴人の業務に起因するとは認められないとしてなされた本件処分は相当というべきである。

第三結論

よって、控訴人の本件請求はこれを棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村岡二郎 裁判官 鈴木敏之 裁判官 滝澤孝臣)

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